半世紀以上の歴史にピリオド。福島市の経済に衝撃をもたらす工場閉鎖の背景と今後の展望!
1月18日、パナソニックコネクト福島工場(福島市太平寺)が来年5月での閉鎖を発表。半世紀余りにわたり地元経済を支えてきた工場の撤退により、約450人の従業員や地域への懸念が広がっています。新家執行役員の苦渋の表情と従業員の戸惑いが交錯する中、その背後には老朽化と建て直しの難しさが潜んでいました。
経年劣化と建屋安全性の課題。福島工場の歴史にピリオド
福島工場は1970年に松下電器産業(現在のパナソニックHD)によって開設され、ラジオから始まった歴史を持っています。
ピーク時には千人以上の従業員が働き、オーディオ機器の製造で成功を収めました。しかし、経年劣化に伴う老朽化や建屋の安全性への懸念から、継続の道を模索しても難しさを実感。
建て直しの投資も視野に入れつつも、実現に至らない状況が浮き彫りになりました。
地元経済への影響拡大。従業員や市民の未来への不安が募る
福島市のものづくりをけん引してきたパナソニック工場の閉鎖に、市や商工関係者は驚きと落胆の声を上げています。約450人の従業員たちは閉鎖の突然の知らせに戸惑い、今後の雇用先に対する不安が広がっています。市長は「非常に残念」とのコメントを発表し、会社に対して責任を求めると同時に、地域全体の雇用確保に向けて連携する意向を示しています。